元シンガー。開業社会保険労務士であり、一児の母。
小規模の建設業の経営者の妻で会社の取締役。

さまざまな属性を生きる自身の経験からサービスが生まれるオフィスルシール。
自身が重ねてきた数知れずの挑戦としくじりと人との出逢いがサービスにさらなる厚みを持たせている。
現在進行形で続くその波乱の人生ストーリーで得たものは、「人は変われる」という確信と多角的な視点だ。

就職「超」氷河期。新卒3ヶ月で退職

就職「超」氷河期。
人生最初の仕事を決めようとしていた時、世の中は記録的な就職難だった。

企業研究、自己分析、将来のキャリアプランなど、まったく考えもしなかった就職活動。
「地元企業であること」
ただそれだけの理由で仕事内容もほとんど理解しないまま、あっさりと内定を決めた。

入社後に任された業務は、求人内容とはまるで違うものだった。
そして、新卒3ヶ月で早期退職。
これから続く長いキャリア人生は、黒星からのスタートだった。

その後、最大手の消費者金融に転職。
数値目標を達成するという営業の面白さにのめり込んだ。
ただ、達成するごとに積まれる目標値、長時間労働、サービス残業、パワハラ、セクハラのフルコンボ。
超ブラック企業そのものの職場環境で働き続ける未来の自分は描けなかった。

そして、22歳で結婚。
「寿退職」
誰もが納得する最もスムーズな退職理由だと思った 。

自立、憧れのシンガーの仕事、そして挫折。

知り合いのいない田舎の地で始まった結婚生活は、しばらくしてうまくいかず、次第に離婚を考え始める。
「稼ぐ手段がないと、別れることもできない。」
自立とは無縁だったこれまでの自分の生き方にはじめて向き合った。

やりたいことは何だっけ─。
頭をよぎったのは、18歳の時に地元のライブハウスで憧れた音楽の世界。
可愛くて華やかな衣装、自信に満ちた姿で歌う女性シンガー、その演奏に歓喜するお客様たち。

「歌手になる」

歌の素地もないまま、ライブハウスのオーディションを受け、幸運にも歌う場を手に入れた。
最初のギャラは、ひと晩5,000円。
衣装代や交通費でマイナスだったが、接客業のアルバイトをしながら夢に向かった。

27歳で離婚。
自立した生活はできるようになっていたが、自分の技術ではシンガーの寿命は「30歳」が限界だと感じていた。

自分の設定した期限まで残りわずかとなった29歳と6ヶ月。
次のキャリアも見つからず、焦りばかり募る日々の過ごしていた中、ある人の言葉に一縷の光を感じた。

「人前で表現するのが得意なら、セミナー講師が向いてるんじゃない?」

社会保険労務士を父に持つその人が勧めるまま、社会保険労務士資格の通信教育を申し込み、5ヶ月後の試験日に向けて勉強を開始する。

念願の資格取得。が、働き口なし。

猛勉強の結果、一回目の試験で無事に合格。
しかし、実務経験はおろか、社会経験もほぼない30歳のフリーターなど採用してくれる会社はどこにもなかった。

折しも就職活動を始めたのは、リーマンショックの翌年。
雇用情勢は深刻だった。

なんとか滑り込んだ静岡県の社会保険労務士事務所で、リストラを回避させるための助成金手続きとリストラするための相談業務に明け暮れた。

その後、地元に戻り、税理士事務所の仕事を受ける形で独立。

仕事も順調に行き始めた1年半後、妊娠が発覚。
小規模建設業の経営者の妻となり、子育てのイメージができないまま出産した。

母になってはじめて見えた風景

産後6日後には、顧問先の給与計算が待っていた。
予定より2週間も早い出産。
業務の引継ぎはまったくできていなかった。

まだ首も座っていない子を電車で連れて、夜遅くまで仕事をする毎日。

「子どもを産んだら、すぐ元通り働ける。」

想像の子育てと現実はあまりにもギャップがありすぎた。

周囲に子育てをしながら働いている同世代の女性がおらず、解決策は見つからない。
会社でも家庭でも、迷惑掛けてばかりの自分が無価値に思えた。

「自分のペースで独立してみたら。」

夫の言葉が背中を押した。
税理士事務所を退職、オフィスルシールを誕生させた。

まだ見ぬ景色を通訳する

納得のいく時間まで働き、時間の制約など考えたことがなかった独身時代、
「育児のために時短勤務をする。」
「当日欠勤する。」
という女性社員の話を冷ややかに見ている自分がいた。

自分が母親になって、働く母親のとまどいやジレンマがあることを知った。

「はじめて育児休業取得を迎える企業の出産に関する手続きの代行や両立の仕組みづくりを手伝うことができる。」
「育児と仕事との両立に思い悩む女子社員に視点を変えるコツを伝えられる。」

自身の出産、育児で仕事の両立がうまくいかなかった反省をもとに、自治体の女性活躍推進事業への参画、働き方改革、ワークライフバランスの取り組み支援の事業を展開した。

そして、夫の会社の取締役就任をきっかけに、慢性的な人材不足を解消するべく、 書類や現場管理のICT化、資格取得奨励制度の導入や外部講習への参加による社員の能力開発の強化、男性社員の育児休暇取得推進など、 積極的な就労環境整備にも乗り出した。

離職率が高く、採用も困難だった3Kの職場だったが、次第に社員が定着し、従業員数が2年間で約2倍、利益も約5倍となった。

そして、従来の採用手段や求める人物像を見直し、外国人実習生、女性事務員、元受刑者といったバラエティ豊かな人材が活躍できる会社へと変わっていった。

事務所の運営、夫の会社、家事育児、そして、念願だった大学の編入学と忙しくも充実の日々を送る中、急に父が病に倒れ、介護が始まった。

そして、時期を同じくして、自身にステージ1の子宮頸がんが発覚した。

たまたま先に経験しただけで誰にでも起こりえる

自身のがん発覚、治療で実感したことは、男女問わず、働いている誰もが仕事を制限しなければならない日が来る可能性があるということ。

まだ顕在化していないが、今後確実に増えていくであろう社員の「ダブルケア」「トリプルケア」の課題。
今後は、育児、介護だけでなく、社員自身の治療と仕事の両立支援、就業継続支援の仕組みづくりにも力を入れていく。

そして、「人はいつからでも変われる」という信念のもと、能力開発の仕組みづくり、能力評価の制度設計、何らかの事情で社会から離脱した人の社会復帰支援を行っていく。

開業から10年目を迎えた今。
多角的な視点と折り合いをつける力を得ることができたのは、数々のライフイベントによって、さまざまな立場に立たされてきたからこそ。
経験によって得られた知見を、社会保険労務士の専門性に乗せ、多くの企業に届けるつもりだ。